恐れを消すもの

前々回のブログでも少し触れたのですが、
“ハリー・ポッター”シリーズを最近読み直して、
今また新たに感じる面白さ、にハマっています。

数日前の夜も、道を歩きながらハリポタのことを考えていたら、
向かい側から、魔法使いの衣装を着た青年が歩いてきて、
思わず目がまんまるになってしまいました。

ハロウィンの衣装だと思うのですが、
黒い三角のとんがり帽子とマントを身に着けて、
春の夜に、いったいどこに行くのでしょう?
スマホを凝視しながら急ぎ足で通り過ぎていきました。

作り話じゃないですよ、ほんとに見たんですから。
まぁ、見方を変えれば、その青年を作り出したのは、
この私かもしれませんけどね。

その時考えていたのはハリポタに登場する“まね妖怪”のことでした。
まね妖怪とは、形態模写をする妖怪で、目の前の人間が
最も怖いと思っているものに、自在に変身できる能力があります。

これって怖いですよね。
恐怖というものがこの世になかったら、どんなにいいか、と思います。

見えない妖怪なんて信じないゾ!という人だって、
毎日おそらく、「こんなことになったらどうしよう。」
「これがダメだと、こっちもダメになるかもだし、運が悪けりゃ、あぁ…。」とか、
恐怖と不安の妄想ループに、苛まれていたりするでしょう。

それって、人間は頭の中に“まね妖怪”を飼っている、
というようなものではないでしょうか。

私たちは、多くのエネルギーを、この「悪いことが起きるのでは」という
怖さを考えることに費やしているといわれます。

悩みとして多いといわれる3つのもの、「愛」「お金」「健康」は、
すべてエネルギーとみることもできます。
自我が確立してからの人生は、いかにこれらのエネルギーを
自分に集め、保持するか、の奮闘の物語ともいえ、
失うことは非常に怖いことなのです。

この世でサバイバルしていくためには、
危険性を予測することは、決して悪いことではないですよね。

でも、今起きてもいないことを、むやみに怖がっていないか…?
気づくことも必要だと思います。
エネルギーが減るかも、失われるかも、という妄想から行動していると、
今この瞬間の輝きは、確実に曇っていきます。

ハリポタでは、“まね妖怪”を退治する呪文があります。
「リディクラス」といって、ラテン語源からの造語で、
「ばかばかしい」というニュアンスです。
映画では「ばか笑い」をすると、妖怪はパチン!と消えてしまいます。

「あれ、何を怖がってんだ、ばかばかしい!ハハッ!」と笑い飛ばすことは、
闇を祓う光のごとく、パワフルな呪文になるんですね。

怖い時の笑いは、バランスを取り戻すための
本能的な衝動の1つでもあると思いますが、
意識して笑っちゃっても良いかもしれません。

そうすることで、シリアスドラマにどっぷり…な状態から、
いったんズームアウトする、あるいはアングルを変えて、
落ち着いて考え直すことができるようになると思います。

私は最近、この手を使って、
「リディクラス!」なんて唱えてみたりしています。

すると、思うように行かないドライビングゲームだからこそ、
チャレンジしがいがある、ってことだよね、などと、
ちょっと力が抜けてきます。

とにかく今は何が起きているわけでもないし、
ひとまず、おいしいコーヒーでも淹れるか…なんてとこまで
行くと、いい線になってきます。

そう、コーヒーといえば、私は缶コーヒーのBOSSの
キャッチコピーが大好きなんです。

「このろくでもない、すばらしき世界」

この感覚に、しみじみできるくらいになると…
ま、なるようになるさ、に最後はたどり着くことができます。

もし私が宇宙人の地球調査員だったら、
やっぱりそう報告したくなるかもしれません。

この言葉には、エネルギーを奪い合い、
制限に苦しむ世界の…、しかし、そうだからこそ限りなく
すばらしいドラマを生み続ける、この世界への深い愛が、
ぎゅっと詰まっているように感じられます。