アヴェ・マリアを聴きながら

街にクリスマスソングが流れる季節になりましたね。

YouTubeのアルゴリズムに誘われるままに、アヴェ・マリアのヴォーカル
(三大アヴェ・マリアといわれるシューベルト、グノー、カッチーニ)
を聴き比べてみました。

私はクラシックの歌曲が好きなのですが、
自分ではかなりの音痴ですし、メロディも覚えられないのです。
音の質感が好きなだけ、かもしれません。
それから、奇妙に聞こえるかもしれませんが、
音の波を身体のどこかの触覚でふれている、ような気がします。

今ではエリザベス・シュワルツコップ、マリア・カラスなど
昔の大御所であっても、さっとYouTubeで聴けてしまうのがすごいですね。
アヴェ・マリアは、子供たちの天使のような歌声も似合いますし、
ボーイソプラノやカウンターテナーにも惹かれます。

中でも印象的だったいくつか。
ジェシー・ノーマンのたゆたうようなシューベルト。
さすがの貫禄。女神のような素晴らしさです。
キャスリーン・バトルの繊細な透明感にも
(シューベルトもグノーも)聴き惚れてしまいます。
キリ・テ・カナワの、まろやかな優しい歌声も
忘れがたいものがありました。

個人的に白眉だったのは、イネッサ・ガランテのカッチーニ。
非の打ち所がない、とはこういうものを言うのでは、
と思うほど崇高で、驚くべきアヴェ・マリアでした。

こうして同じ歌をいろいろな人の歌声で聴いていくうち、
次第に、じつは自分に向き合っている、ということに
気づくことになりました。
美しさにうっとりする時、人は変成意識に入っています。
自分の中にその美しさを持っているからなんですね。
誰もがそうだと思います。
その波動があるから共振するのです。

逆に、違和感を感じるものもあります。
私は以前、サラ・ブライトマンがちょっと苦手でした。
この「ちょっと苦手」という感覚はチェックに値します。
たいてい、このなんとなく奥の方にモヤモヤする嫌な感じ…は、
世界を見る自分の視線のゆがみ、に起因していたりします。

声が嫌いとか、技術がどう、ということではないのです。
世界の歌姫ですから、類まれな美声と技量は折り紙つきです。
私は何に対して抵抗感を持っていたのか、と感じていきますと…
彼女にはなんとなく誇示するような「ひけらかしっぽさ」
があるのではないか、などと思っていたようです。
でも、それは彼女の本当の在り方とは関係なく、
私の一方的な見方でしかありません。
人の視点は、その人のものでしかないのです。

よく見ていくと、その些細な「なんかちょっと。」の陰には、
私自身の抑圧やコンプレックスが隠れていたようです。
彼女の、実在感を凛々と響かせる姿が、まぶしすぎたのでしょう。
(歌のことではありません。)
控えめが女性らしいというような思い込み、
あるいは自分自身が抑えていた女性性を刺激されるような…。
でもそれは憧れの裏返しでもあったわけです。

こんな部分が隠れていたのか…と自分でも驚きますが、
そこを認めるだけでも、見方はだいぶ変わります。
好き、に転じるほどでなくても、フラットな気持ちで、
彼女の魅力に関心が持てるようになってきました。
(コンサートに行ってみたい、とまで思ってるのです!)

ところで、あれこれ聴いた中でのマイベスト、は、
バーブラ・ストライザンドのアヴェ・マリアでした。
たくさんのディーヴァ達をさしおいて、
何度もリピートしたくなるのはこれだったのです。
https://www.youtube.com/watch?v=UwfZEIHUAFc

ほかの歌手が天を仰ぎ見るようにして歌う中で、
彼女の歌うマリアは、天上界でも教会でもなく、
私たちのそばにいる、と感じられます。

もっといえば、私たちひとりひとりの中にあると。
生命がいやおうなしに内包する孤独のそばに、
どんな時も寄り添っているマリア。
そういう肌触りというか、親しみあるぬくもりは、
他では感じられなかったものでした。

なんとなく始めたことでしたが、
結局これも、自分にとってセラピーになっていたようです。
心のおもむく流れに従っていくと、
いつも必要なギフトを受け取るのですね。

素敵なホリデーシーズンをお迎えください☆