犬と飼い主との幸せな関係を築くための「よりそイズム」
を提唱されているドッグトレーナーの中西典子さんが、
バイオテクノロジーの世界的権威、村上和雄博士を追った映画作品
「スイッチ~遺伝子が目覚める瞬間」を自主上映されるというので、
先日観せていただいてきました。
人間の遺伝子には百科事典約3200冊分の情報が入っているそうで、
博士によれば「眠っている遺伝子のスイッチをオンにすれば、
人間の可能性は無限大。」なのだそうです。
映画では、実際に遺伝子がオンになった人々の生き方も取り上げ、
ヒューマンドキュメンタリー的な色合いも濃い作品になっていました。
最近私は、心理カウンセラーの大嶋信頼さんの本に
熱中していたのですが、ちょうど読んだばかりの本のタイトルが
奇しくも「あなたを困らせる遺伝子をスイッチオフ!」というものでした。
生きづらさの要因になっている遺伝子を特定して、
それをただ唱えているうちに、悩みが自然に解消されていく、という、
そのテクニックを初めて知った時はかなり衝撃を受けたのですが、
ただ「よくわからないけど、ものすごくまともで重要な何かである。」
という、根拠のない確信だけはあって、そして効果も実感しつつ、
少しずつ理解を深めていたところでした。
遺伝子のスイッチをオン…特徴的な遺伝子のスイッチはオフ…
この2つはきっと繋がっている…とブツブツ考えていた時、
思い出したのは、思想家の内田樹氏がどこかで書かれていた
「霊性とはネットワークである。」という言葉でした。
スピリチュアリティを説明した言葉で、今のところ、
これ以上に、私にとってしっくりするものはありません。
スピリチュアリティとはネットワークのこと。
私もそう感じます。マクロ的にも、ミクロ的にも。
倍音を含む、シンフォニックなネットワークではないかと。
だから遺伝子のスイッチをオンにする、のは、
個人のエゴが成し得ることではないと思うのです。
たとえば「私の霊性を高めたい」と念じても、
高まるものではありません。
そもそもひとりで高まっても意味がないでしょう。
「私」がネットワークの一部になり、ネットワークそのものになる、
その接続状態において、スイッチはオンになる、のではないでしょうか。
それは無意識の領域で、気づかない間に起こるのです。
映画で取材されていた人々も、苦難の状況から無我夢中で動くうちに、
いつしか周囲に大きな影響を与える存在になっていきました。
後になって「こういう役割なのかも。」と彼女たちは気づきますが、
それが自分の力かどうかなんて考えようともしません。
ただ一瞬一瞬を“生かされるように生きて”いるのです。
何か間違っているのでしょうか。
いえ、そこにももしかしたら、個人のエゴではコントロールできない、
ネットワークからの影響があるかもしれません。
ともかく、自分なんて、と思う必要はないのです。
ご自身の「心に聞く」をやってみましょう。
(詳しく説明できなくて申し訳ありません。
ご興味のある方は大嶋さんの本をお読みください。)
思えば、中西さんが「どうしても自分でこの映画を観たかったから
自主上映しちゃいます。」と企画してくださった時、
1つのスイッチオンがあったのです。
そのおかげで、私は曲がりなりにもこれを書き、
私の知らないどこかの誰かも、刺激され、
もしかしたら、その先にいる誰かもまた…。
その連鎖反応は、ほんのわずかかもしれないけれど
無意識のネットワークに変化をもたらすはずです。
100匹目の猿か現れるように、そんな映画を知りもしない人々にも
スイッチオンが訪れるかもしれません。
私はそう思いたいし、だからこそ、このことに心から感謝しています。
そういえば、黒澤明監督の映画で「生きる」という作品がありました。
漠然と生きてきた市役所の市民課長が、ある日がんに侵されていることを知り、
生まれ変わったように生き方を転換していく…というストーリーですが、
何度見ても涙を流さずにはいられない、
それこそスイッチオンの見本のような作品です。
目はウロコをはがすためにあり、
常識はひらりと飛び越えるためにある。
そうして、ほんとは私たちって何もわかってないよね、を共有する時、
その向こう側にひろがる豊かな世界を、肩を並べながら、
今はじめて見たかのように見ることができる。
その未知なる世界に向かって足を踏み出す時、
足元の地下深くで、何かがカチリ、という。
スイッチがオンになる瞬間って、そんな感じかもしれません…
私の勝手な夢想ではあるのですが。
でもそう考えると、本当に夢があるように思いませんか?