北極星からの招待

神社仏閣に足繁く通っていますと、どうも呼ばれているような…
という感覚に、とらわれることがないでしょうか。
潜在的には本人が選択しているには違いないのでしょうが、
なんらかシンクロが続いたり、意味不明だけど行かなくちゃ!
みたいな衝動にかられて、とにかく唐突に出かけることになる、
ということが、私にはしばしばあります。

そんな感じで先日、大阪の星田妙見宮へ行ってきました。
強行日程でしたので夜行バスで行ったのですが、
見知らぬ土地で早朝に朝食を求めてさまよう事態になり、
ようやく田舎道にドライブスルーのマクドナルドが
ポツンとあるのを見つけた時には、かなり感激しました。

その店先に、なぜか頭にターバンを巻いた
アラブ風の装いの男性が、小さな声で歌いながら立っていました。
目的はわかりませんでしたが。
なんともシュールな光景でした。

星田妙見宮は、とても神秘的な神社です。

 

 

 

 

 

 

ココもしかして、宇宙基地?という独特の空気感。
特に、816年の隕石落下地点とされる「登龍の滝」付近は

たとえようもない異次元空間に感じます。
結界を示す白い紙垂の、中央2枚だけが、
風もないのにずっとクルクル回転していました。

 

 

 

 

 

帰京するとすぐ、今度は成田山新勝寺に行かなくては…、になりました。
そうだ、千葉に行くなら大好きな千葉神社を経由するルートで行こう、
星田妙見宮と同じ妙見信仰だし、繋がってるのかもしれない、
などと思いつきます。

そのあたりから、妙見信仰について
よく調べ始めたのですが、かなり複雑に入り組んでいます。

日本では神仏習合だの神仏分離だのあれこれあって、
独自のレッテルが貼り替えられたりしますし、
この妙見信仰に関連する人としては、
聖徳太子、弘法大師、日蓮、安倍晴明、平清盛、など
華やかな方々の名が挙げられるのですが、
そのわりに、現在ではポピュラーとはいえない気がします。

一般的には北辰妙見菩薩(妙見菩薩)に対する信仰とされますが、
源流は、道教の北極星・北斗七星に対する信仰(鎮宅霊符信仰)。
神道系では天御中主神と同一神ともされています。

ルーツをたどれば、バビロニア(もしかしたらエジプト)あたりから
シルクロードを経由し、中国、韓国から
伝来してきたと推察されます。
天体観測を重要とせざるをえなかった民族によって、
北極星があがめられてきたのは当然といえるでしょう。

妙見本宮・千葉神社は、朱塗りの重層社殿になっていて、
1階、2階ともに拝殿があります。

 

 

 

 


この2階のエネルギーが本当にすごいのです。

変な形容なんですが(あくまで個人的イメージですが)
観覧車大のメリーゴーランドに乗せられて、
高速で星々の間をグルグル回されるみたいな感覚に陥ってしまいます。
しかも、キランキラ~ン、シャラシャラ~ン♪という
ゴージャスで金属的なBGMが鳴り響いています。
中心に北極星は感じるのですが、

方向感覚はおかしなことになり、たいていいつも、
すべてはまわる~、私もまわる~、くるくると~、という
なんともオメデタイ気分に出来上がって、
ふらふら降りてくることになります。

かつては千葉氏らに軍神としてあがめられたと言われますが、
そうした猛々しい様子は私にはわかりません。
むしろ、豪華絢爛に回転する宇宙、と感じます。

気が上がったまま成田山新勝寺へ向かう電車の中で、
スマホでアクセスなど調べているうち、
驚くべきことに気づきました。

成田山新勝寺にも妙見宮がある…。
しかも、そもそもの地主神だなんて…。
考えてみれば、千葉氏の土地なのですから、
妙見様が先におられたというのは不思議ではありません。
でも、何の考えもなく、大阪の星田妙見宮から続けて
千葉の成田山に来ようとしていた私は、
呆然としてしまいました。
まぁ要するに、ただ単に無知だった、というだけですが。

参拝客でにぎわう週末の成田山新勝寺の境内に、
清瀧権現堂・妙見宮は、楚々とした趣きで佇んでいました。

 

 

 

 

密教の女神、清瀧権現と土地の鎮守・妙見菩薩が
合祀されています。

涙が出るような美しいエネルギーだと思いました。
素朴で悠然としたあたたかさ。
静かにあふれ来るエネルギーは、より純粋ではありましたが、
千葉神社と同じ性質だということは感じました。

同時に、過去と現在が交差するような不思議な感覚がしてきました。
遠い遠い異国か…シルクロードか…太古の日本か…
いや…、どこでもないのかもしれない、
人々がおおらかに、穏やかに暮らす、理想郷のような景色が、
重なりあうように鮮やかに浮かび上がってきます。
これは神々の記憶なのか夢なのか。

見たこともない、それらのビジョンが懐かしく、
ありがたさに心が震えました。

その時ふと、早朝のマクドナルドで出会った、
ターバンの男性を思い出しました。
彼の祖先はもしかしたら、バビロニアで
北極星を見上げて祈っていたのかもしれない。
そんなことを想像すると、ちょっとおかしくなりました。

ほんのつかの間、クロノロジカルな自分のあり方を忘れ、
やがて立体絵巻物的な情景が、小さな社にしまわれていくのを見届けて、
深々と、長い時、頭を下げました。

今回の「行かなくちゃシリーズ」はここで終わりなんだ、
とわかりました。
示唆を受け取る場面もあちこちでありましたが、
振り返ってみると、ただ夢中だったように思います。
これらのポイントを足で通過してきたことで、
ほんの少し、何かが変わったと感じる、
そのことだけが、今はじんわり沁みてきます。

本当のことを言うと、出かける前には、
ちょっぴり、めんどくさい、という気持ちがありました。

でも実際に動いてみると、ビリヤードのようにパンパンと
次のアクションが起こり、繋がり、展開していきます。
そういう気づきに繊細でありたいと思います。

いただけたこの機会を大切に、
北極星のミステリーをさらに探求していきます。
続編シリーズにそなえて。