姫川薬石プレゼントキャンペーン

今月から、宝石のタリスマンをご購入の方に、
姫川薬石のタンブル(握り石)をプレゼントしています。

姫川薬石は、素朴な容姿のためか、あまり知られていませんが、
私には欠かすことができない、とても重要な石です。

「三種の神器」のひとつとして名高い八尺瓊勾玉は、
新潟県糸魚川産のヒスイと言われますが、
この姫川薬石も同じ糸魚川周辺の地域で採取されます。
「姫川」の姫は、古代においてヒスイ世界を支配した
奴奈川姫(沼河比売)のこと。
姫川はかつて糸魚川支流の「渟名河(ぬなかは)」と
呼ばれていたそうです。

そのように由緒正しい生まれの姫川薬石は、
微量の放射線を発するラジウム鉱石で、
この放射線により、古代から様々な薬効が信じられてきました。
(Google先生に聞くと、いろいろ情報を教えてくれますので、
詳細は割愛させてください。)

個人的には、この石を手にすると、
ハートからふわっと温かさがひろがり、
心身が優しく癒やされていくのを感じます。
ピュアで献身的で、素晴らしいヒーリングエネルギーを持つ石です。
人を選ばないので、セッションの中でもよく使いますが、
私は日常生活でも毎日、小石で作った薬石水を飲み、大きな石は浴槽に入れ、
ベッド周りにもゴロゴロと遊ばせています。

そばに置いたり、持って寝ると睡眠の質が良くなりますし、
痛みや火傷の手当として応急処置に利用したことがありますが、
この石が集中して癒やす時には、不思議と熱を発生するようです。
また、そのような後では、石の色が濃く変化していきました。

姫川薬石には、地球の四大元素のエネルギーを感じます。
川辺や海岸の石ですので、荒波にもまれ転がってできた丸みがあり、
水や大地のエネルギーを伝えてくれます。
多孔質だからか、軽やかな風のエネルギーも感じます。
そして6500万年前の火山噴火によって、火山灰などが堆積して
出来た石のため、火のエネルギーも持っています。
表面の模様も、ちょっと火のようにも見えます。

宝石のタリスマンは、メタフィジカルな要素が強くなりますので、
姫川薬石のような、ナチュラルなヒーリングストーンもお持ちいただくと、
バランスが良いように思っています。

キャンペーン、なんて言ってみましたが、しばらくは続けるつもりです。
姫川薬石だけ欲しい、という方がいらっしゃいましたら、
高価なものではありませんので、お気軽にお問い合わせください。

※キャンペーンは終了しました。姫川薬石にご興味のある方はお問い合わせください。

恐れを消すもの

前々回のブログでも少し触れたのですが、
“ハリー・ポッター”シリーズを最近読み直して、
今また新たに感じる面白さ、にハマっています。

数日前の夜も、道を歩きながらハリポタのことを考えていたら、
向かい側から、魔法使いの衣装を着た青年が歩いてきて、
思わず目がまんまるになってしまいました。

ハロウィンの衣装だと思うのですが、
黒い三角のとんがり帽子とマントを身に着けて、
春の夜に、いったいどこに行くのでしょう?
スマホを凝視しながら急ぎ足で通り過ぎていきました。

作り話じゃないですよ、ほんとに見たんですから。
まぁ、見方を変えれば、その青年を作り出したのは、
この私かもしれませんけどね。

その時考えていたのはハリポタに登場する“まね妖怪”のことでした。
まね妖怪とは、形態模写をする妖怪で、目の前の人間が
最も怖いと思っているものに、自在に変身できる能力があります。

これって怖いですよね。
恐怖というものがこの世になかったら、どんなにいいか、と思います。

見えない妖怪なんて信じないゾ!という人だって、
毎日おそらく、「こんなことになったらどうしよう。」
「これがダメだと、こっちもダメになるかもだし、運が悪けりゃ、あぁ…。」とか、
恐怖と不安の妄想ループに、苛まれていたりするでしょう。

それって、人間は頭の中に“まね妖怪”を飼っている、
というようなものではないでしょうか。

私たちは、多くのエネルギーを、この「悪いことが起きるのでは」という
怖さを考えることに費やしているといわれます。

悩みとして多いといわれる3つのもの、「愛」「お金」「健康」は、
すべてエネルギーとみることもできます。
自我が確立してからの人生は、いかにこれらのエネルギーを
自分に集め、保持するか、の奮闘の物語ともいえ、
失うことは非常に怖いことなのです。

この世でサバイバルしていくためには、
危険性を予測することは、決して悪いことではないですよね。

でも、今起きてもいないことを、むやみに怖がっていないか…?
気づくことも必要だと思います。
エネルギーが減るかも、失われるかも、という妄想から行動していると、
今この瞬間の輝きは、確実に曇っていきます。

ハリポタでは、“まね妖怪”を退治する呪文があります。
「リディクラス」といって、ラテン語源からの造語で、
「ばかばかしい」というニュアンスです。
映画では「ばか笑い」をすると、妖怪はパチン!と消えてしまいます。

「あれ、何を怖がってんだ、ばかばかしい!ハハッ!」と笑い飛ばすことは、
闇を祓う光のごとく、パワフルな呪文になるんですね。

怖い時の笑いは、バランスを取り戻すための
本能的な衝動の1つでもあると思いますが、
意識して笑っちゃっても良いかもしれません。

そうすることで、シリアスドラマにどっぷり…な状態から、
いったんズームアウトする、あるいはアングルを変えて、
落ち着いて考え直すことができるようになると思います。

私は最近、この手を使って、
「リディクラス!」なんて唱えてみたりしています。

すると、思うように行かないドライビングゲームだからこそ、
チャレンジしがいがある、ってことだよね、などと、
ちょっと力が抜けてきます。

とにかく今は何が起きているわけでもないし、
ひとまず、おいしいコーヒーでも淹れるか…なんてとこまで
行くと、いい線になってきます。

そう、コーヒーといえば、私は缶コーヒーのBOSSの
キャッチコピーが大好きなんです。

「このろくでもない、すばらしき世界」

この感覚に、しみじみできるくらいになると…
ま、なるようになるさ、に最後はたどり着くことができます。

もし私が宇宙人の地球調査員だったら、
やっぱりそう報告したくなるかもしれません。

この言葉には、エネルギーを奪い合い、
制限に苦しむ世界の…、しかし、そうだからこそ限りなく
すばらしいドラマを生み続ける、この世界への深い愛が、
ぎゅっと詰まっているように感じられます。

タロットヒーリングについて

サイトを一部更新しました。
HEALINGに、ご要望の多いスペースクリアリングのメニューを追加し、
また、新しくTAROT〈タロット〉の項目を作りました。

タロットカードそのもののエネルギーを使ったヒーリングを、
“タロットヒーリング”としています。
最近のヒーリングセッションでは、すでにこの要素を組み入れていましたが、
想像以上にカードがパワフルに働くこともあり、
オリジナルメソッドとしてご提案したく、新しく別メニューにしました。

タロットのスプレッドを読み解きながら、セラピー効果を高めていく
タロットセラピーという言葉はありますが、このようにカードのエネルギーで
直接ヒーリングセッションを行うことは珍しいのではないかと思います。

時間と料金設定は同じですので、通常のヒーリングとタロットヒーリングは、
タロットあり・なし、の違いとして、お好みで選んでいただければ幸いです。
いずれにしましても、セッションに入れば、自動的に展開していくことになりますが、
エネルギーだけだとわかりづらい、という方には、より具体的なガイダンスが
加わるタロットヒーリングの方が、ご納得いただきやすいかもしれません。
反対にタロットという言葉にピンと来ないという方、
エネルギーヒーリングに慣れている方などには、
完全おまかせのヒーリングセッションもおすすめできます。

タロットのメールリーディングだけの、シンプルなメニューもあります。
お気軽に何なりとご相談いただけるとうれしいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

幸せなら手をたたこう

ヒーリングは、肉体的、精神的、感情的、霊的に、さまざまな観点において、
本来あるべきバランスを取り戻すためのもの、だと考えていますが、
このようなサイトにお越しいただく方の中には、より霊的に向上したい、
ご自身のエネルギーを高めたい、と希望される方も多くいらっしゃいます。

高みを目指す、のは人としてごく自然なことだと思いますが、
ただ、人より高くあることだけが目的になってしまうのは、
かえって不自然な感じがします。

「ハリー・ポッターと賢者の石」の中で、ハリーが“不死をもたらす石”を
願いと同時に手にすることができたのは、彼がそれを使いたいとは
思っていなかった、つまり「死をも怖れぬ」状況だったからです。
執着のない、怖れのない願いこそが具現化への道を拓く、とすれば、
願いがかなうかどうかなど忘れるくらいの、ひたむきな心のあり方、
が幸運の鍵だといえるかもしれません。

でもそうはいっても、なんとなくエネルギーが落ちてしまう…ことはありますよね。
人間ですから。

数日前、突然「幸せなら手をたたこう」という歌が頭に響いてきました。
どうしてこんな古い歌が…、と訝しく思いながら、
軽く口ずさんで手をたたいてみたら、
サッと周囲のエネルギーが変わったので驚きました。

あらためて調べてみたところ、坂本九さんのヒットソングだと
勝手に思いこんでいたのですが、じつは元々は作詞・作曲者不詳の歌を
彼が偶然耳にして、カバーしたものだったということを
初めて知りました。
原曲はアメリカ民謡か、スペイン民謡、という説もあれば、
古いラトビア民謡がルーツ、という話もあり、ともかくも
世界中で歌われているようです。

考えてみれば、歌いながら手をたたいたり、足を踏み鳴らしたり、
するわけですから、浄化したり魔を払ったりしながらエネルギーを高める
儀式的なものに由来している可能性はあると思います。
じつはかなり古くからあった歌なのではないでしょうか。

幸せであることを3次元に確定させていくような歌詞も
場のエネルギーを高めていくと思います。
そして、手をたたこう、に始まって、足を鳴らしたり、肩をたたいたり…
と続いていきますが、最後の歌詞が「幸せなら 最初から」となるのは
ご存知でしたでしょうか。
終わらないのです。ウロボロスの蛇みたいに。
永遠に円環していくことを示しているところにもまた、
この歌のただならぬ力を感じてしまいます。

この歌はおそらく、おうちでできる簡単ヒーリング、になると思いますので、
気分が沈みがちな時、歌なんか歌いたくもない時、
またなんとなく空気が重く感じる時にも、一度試してみてください。
お子様と一緒に歌うのも良いと思いますし、
たくさんの人で歌うと、パワーも増しそうです。
きっとこの歌が流行した頃の日本は元気だったのでしょう。

ところで、坂本九さんの歌には独特の世界がありますね。
「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」など、
透明感があって励まされますし、普遍的な魅力を感じます。
飛行機事故で非業の最期を遂げられましたが、
特別な使命があった方だったのかな、と思います。

アレハンドロ・ホドロフスキー特集

カモワンタロット(カモワン・ホドロフスキー版マルセイユタロット)を学んでいるため、
製作者の1人で、映画監督でもあるアレハンドロ・ホドロフスキーの
特集上映が開催されている、渋谷のアップリンクに足を運びました。
かつて私も映画関係の仕事をしていたことがあるのですが、
カルトムービーの巨匠と謳われる彼の作品を観たことはありませんでした。

ところが最初の1作品で打ちのめされて、これはできる限り映画館で観ておきたい、
とレイトショーに通いつめて、結局、最新作を含む6本をすべて観てしまいました。
とんでもなく濃厚な日々でした…。
暴力、狂気、恐怖、アイロニー、死の過激な描写があり、奇天烈な表現があり、
安易に友人にすすめたりしたら、距離を置かれてしまいそうな程、
常軌を逸した不条理な世界が次々と展開します。
でも決して低俗でもグロテスクでもありません。
それどころか、圧倒的に美しい映像、鮮烈な色彩感覚、流麗なカメラワーク、
詩的な言葉と音楽…そしてパワフルな創造への情熱が、
神がかりのようにすべてを凌駕し、昇華させていきます。
媚びも虚飾も妥協もない。
純粋な芸術とはこういうものだったのか、と呆然とする思いでした。

毎回、映画館から出るたびに、世界が新しくなったかのように目まいがしました。
もう一度赤い子宮に戻り、また生まれ直してきた、ような…
地の底で燃焼しつくされて、ふたたび緑の地表に戻ってきたような…
嵐が過ぎ去った後で、静かに何かを決意する時のような…
何度も、超絶体験をくぐって「再誕生」し、まぶしい光に目を細めるような気持ちで
夜の渋谷の繁華街すら新鮮に感じながら帰ってきました。

それぞれの作品は、神秘的な象徴やメタファーに富んでいて、
マップのように深めていくこともできる世界なので、
簡単に講評することなど私には到底できないのですが、
すべてに通底して、はっきり伝わってくるメッセージは、
固定観念や他者の価値観にゆだねず、幻想にとらわれず、
自分を赦し、自分の足で歩くことを赦し、自分の手でつかむことを赦す。
ひたむきに「いまを生きる」ということでした。

聞き飽きるほどに耳にしてきた、「いまを生きる」という言葉。
瞬間瞬間、生まれ変わり、瞬間瞬間、自分自身に還る、
その無垢なる魂の旅こそが輝きなのだと、
これほどまでに強烈に感じたことはありませんでした。

この特集上映は、私にとっては大きなブレイクスルーでした。
まだその余震は続いています。
いつか時を経て、あらためてホドロフスキーの作品を観たとしても、
きっと新鮮な驚きと啓発があるだろうと思います。

でももしも、この記事を読んでくださって、ちょっと観てみようかな…と思われたら、
正気のシートベルトは、しっかりとゆるめてご鑑賞ください。